都留文科大学 98年度
U.E.
「自分は、人間を極度に恐れていながら、それでいて、人間を、どうしても思い切れなかったらしいのです。」(太宰治『人間失格』)
そして太宰は、人間とつながるための術を「道化」に見出す。それは、彼の「人間に対する最後の求愛」だったのである。
この作品を初めて読んだのは高校生の頃で、読後、ふと鏡を見てぎょっとしたのを覚えている。本から顔を上げ、そこに映された顔にある種の戦慄を覚えたのである。−真っ赤だった。見透かされている。そう思ったのである。いたたまれなかった。
高校卒業の際、クラスでつくった文集(編集は私が主にしたのだが)の中に“なんでもランキング”なるものがあって、私はその五つほどにランクインしていた。「やさしそうな人」で一位。「まじめな人」や「頭の良い人」で二位、など。私は本気で編集の時改ざんしようかと思ってしまった。
“本当にお前は優しいのか”。私にはそれが、こう告発しているように思われてならなかったのである。
“優しさ”とは何か。私は“優しさ”というものを、もっとっさしせまったものの中で考えたいと思う。それこそ命がけの、傷だらけで血を心からどくどく流しながらの、ギリギリのところからの人間に対する真の求愛として。そんな“優しさ”もあるのではないか。
「不良でない人間があるだろうか、とあのノートブックに書かれていたけれども、そう言われてみると、私だって不良、叔父さまも不良、お母さまだって、不良みたいに思われて来る。不良とは、優しさの事ではないのかしら。」(同『斜陽』)
太宰にとって「優しさ」は、何らかの欠損を持っている者のもるあり様である。それは“弱さ”であり“罪”であり、「滅亡の民」、人間の資格を剥奪された者のもつ姿である。彼は“優しさ”を「人間として一番優れている事」(「河盛好蔵宛書簡」)といいながら、しかしそうした人間は「まけてほろび」るというのだ。「それでよい」と。
私は自らを「滅亡の民」と呼べるだろうか。自分をなぐさめることなく、妥協することなく、真っ直ぐに純粋に自らの人生に誠実に生きられるだろうか。なるほど、死んでよい理由などはあるまい。しかし、世間の与えた定義を汚れないための言い訳にし、偽ることに慣れ、無自覚にさしさわりなく、のうのうと生きていく者達に一体、その生き方を笑うことなどできるだろうか。
“優しい人”は、人間にも社会にも絶望していた。けれど死を賭けて自己の内部をえぐり出し、さらけ出し、その時代に生きる人間の苦悩、真実、それをあからさまにすることによって“真に人間的に生きようとすればすれば人間でいられなくなる”すなわち、人間の資格を奪われ破滅せざるを得ないという、ひどく恐ろしい真実を描き出したのである。
徹底した自己否定。自己破壊。そうすることが世の中のエゴイズム、偽善、秩序の本当の意味での否定であると彼は信じ、つらぬいた。
私達は服を着こんでいる。傷つけられないために、コミュニケーションやあらゆる外界への働き掛から直接性の痛みや都合の悪いものを排除して、社交術としての“優しさ”を手に入れて、いかに葛藤なく居心地の良い人生を長じてゆけるかにあくせくしている。時代に反逆しようと思わず、何だかんだとうまく生きている。
しかし、彼はどうだ。人一倍鋭敏で、傷つきやすい裸の心の肌を被うことさえなく、ごまかすことさえなく、あえぎ、苦悶しながらも生涯、痛みに耐え、気丈な露出を成しとげたのである。彼は弱い。その生き方に賛成する訳ではない。しかし私は“弱さを持ち続ける強さ”を限りなく愛しいと思う。
人としての“傷つきやすさ”を引き受けて、自覚して生きる時、人は“優しい”のではないか。人間の醜さ、ずるさ、哀れさ、すべてを承知してなら、人間なるものをあきらめない者であり続けること。
「みんなが自分の過去の罪を自覚して気が弱くて、それこそ、おのれを愛するが如く隣人を愛して、さうして疲れたら眠って、そんな部落を作れないものかしら。」(同『冬の花火』)
彼は右記の戯曲をルカ伝7章47の「赦さるる事の少き者は、その愛する事も少し」という思想をテーマにしたといっている。罪深きものは愛情が深いのだと。「いちどあやまちを犯した女は優しい、といふのが私の確信なんです。」と。
罪。太宰は深い罪悪感を抱いていた。そしてその理由に、私は慄然とせずにはいられなかったのである。彼は『人間失格』において葉蔵に「人に好かれる事は知ってゐても、人を愛する能力に於いては欠けてゐるところがあるようでした」と言わしめているのだ。
この言葉は、血を吐くような告白ではないだろうか。そしてそれは私のことをも指摘するのだ。誰よりも人を深く愛したいと望み人一倍愛情を求めながら、しかし人を愛する自らの能力に、絶えず疑いを抱いている。人を愛せない不具な自らを厳しく断罪し続けているのだ。自らすら愛してやれない者が人を愛せるのか。存在が、他人を壊せるだけの力を負ってしまった罪は、どう贖えばいいのか。私は、許されて構わないか。“愛”と“甘え”を完全に区別できる人間などいるのだろうか。
往々にして文学者(特に詩人)と呼ばれる人種は、コミュニケーションにおいて何らかの不全があるように思われる。それは、あまりに鋭敏に感じすぎ、見つめすぎるからだ。文学が、人間をひたすらに愛しそれにせまってゆくものであるとして、しかし真実なる人の姿は必ずしも容易に愛しうべきものではないのである。矛盾を抱えながら懸命に、自らをただ、誠実に生きようとする者は、虚無を知るからこそ“優しい”。コミュニケーションが下手で、不器用でも、たとえ頭が悪くとも、人の淋しさ侘しさ、つらさを人ごとならず思う者、自らの欠陥を自覚し罪を抱える者は優しくなりうるのである。私はそう信じたい。
つらい言葉や、哀しみを食べて、優しさのかけらをためよう。流れてしまった涙と、こぼれないように抑えた涙を析出して、静かな優しさのかけらをためよう。哀しみは、いずくへとてもゆく所がないので、私の中にたまってゆく。それが深く、すき透ったなら、その美しさだけを人にあげたい。私には「本物」の持ち合わせはないかもしれないが、それでも多少なりとあたたかいものをあげたい。祈るように私を抱きしめるあの人には、そっと、せめてこの心の優しい部分をあげたい。そう思う。
“お前は本当に優しいか”−−否。しかしそうありたいと思うのだ。「滅亡の民」でも本当は構わない。けれど、私を大切に思ってくれる誰かのある限り、おこがましくも生きてゆくのである。“優しさ”は、ほめられるものでもなく、贖罪の街を探す者の一つのあり様なのかもしれない。
私のここに考えた“優しさ”は大平健『やさしさの精神病理』や朝日新聞の「傷つくのがこわい−−『やさしさ』世代の若者たち」などでとりあげられているそれとは異なる。「人間とは何か」と問う時にぶつかる問題であって、日常のコミュニケーションとは少し遠いのかもしれない。しかし私には近いのである。申し訳ない。
ふと、考えてみる。
一日のうちで、一体本当に目と目を合わす相手が何人いるだろうかと。そしてまた、お互いどれぐらいの時間、視線を合わせているのだろうか。
私達人間は、相手を人格者と認めながら、対決する個と個との間で、互いをつなぐ心の絃を模索している。動物と違い、相手は誰でもよいというわけではない。行きずりの人と視線があっても、さして心に動揺は起こらないが、恋人や親友、けんか相手など、人格ある相手と認めたものとの目と目との出会いは、私達に何らかのざわめきを与えずにはおかないものである。
お互いに目を背けないで、心の連帯を築きたいものである。それは厳しいことではあるが、単なる情報流通でしかないコミュニケーションでは、互いの孤独は埋まらない。
“優しさ”とは何か。それは祈りのようなものかもしれない。そんな気がする。