都留文科大学 98年度
K.S.
初めに、この小説は決してポピュラーな作品ではないので、あらすじを紹介する。
主人公サビーヌは、醜いがゆえに劣等感に満ち、人目を忍ぶように孤独な生活を送っていた。しかし、そんな彼女に秘かに思いを寄せる男性がいた。十年来の友人ハンスである。実はサビーヌも彼に魅かれていたのだが劣等感がその気持ちにブレーキをかけていたのである。ある時サビーヌは、孤独な資本家の老人から求婚され、受諾する。ショックを受けたハンスは一時彼女から遠ざかるが、老人の死をきっかけに再会する。やがて二人は互いの気持ちを確かめ合い、愛し合うようになる。それでもなお劣等感に苦しむサビーヌは整形手術を受け美しく変貌する。ところが、その代償として、サビーヌは彼女の個性的な陰影を愛していたハンスに捨てられ、鉄道自殺をしてしまう。
ハンスは整形後のサビーヌに対して、脚の障害の完治で性格も人生も180度転換した知人を例に挙げ、こう言っている。「ぼくにはわかる。サビーヌ、からだと魂は一体をなしているものだ。脚を直しただけである人間の奥底にあるものが変わるんだ。きみの魂はもう、ぼくの愛していた魂とは同じものではない。〜」人の魂というか心は、目に見えない。従って、このハンスの主張が正しいか否かかを判定するのは不可能である。しかし、私個人としては「〜、わたしだって、ちっとも変わってなかいない!」というサビーヌの悲痛な訴えよりも、ハンスの考えに共感を覚える。
私は整形手術を受けたことはないし、私の知るかぎり身の回りでも体験者はいない.ただ、容姿がかくも内面に影響を与えるのかと驚いたことならある。それは、自分自身が化粧を始めた時のことである。それまでの私は自意識過剰で、サビーヌ同様容貌に強い劣等感を抱いていた。自分の顔を人前にさらすのが嫌さに、なるべく他人との接触をさけていた節がある。電車に乗った時など、周囲の人にじろじろ見られているような気がし、『なんてみっともない子だ』と思われやしないかと始終びくびくしていたものである。最近某雑誌で、己れの容姿に異常なほどコンプレックスを抱き、その結果社会生活もままならなくなる「醜形恐怖症」という心の病を知った。今から思えば、私も患者の一人だったのかもしれない。ところが、化粧によって欠点をカモフラージュする術を覚えると、間もなく症状(?)が軽くなったのである。まず、人中にいても、以前のように居たたまれなくなるほどの羞恥心にとらわれることはなくなった。そして、いつもうつむきがちだったのが、顔を上げて周囲を見渡せるようになった。それまで内部(自分)にばかり向いていた意識が外向化されたのである。要するに、自意識過剰が緩和されたのである。同時に、対人恐怖症的な部分も軽減されていった。たかが化粧されど化粧である。そういえば、ある老人ホームで、ボランティアが女性入居者に化粧を施すサービスをしたところ、無表情だったお年寄りの顔が生き生きしてきたという話をどこかで読んだ。このように、化粧というごく表面的な操作でさえ、人の心に多大な影響を与え得るのである。ましてや整形の場合、良いにつけ悪しきにつけ、それ以上の影響力、人の性格を変えてしまうほどの力を持っていても不思議はない。
容姿による心の変化の特徴は、速効性にあるのではないだろうか。その分、周囲の人間が受けるインパクトも大きい。誰しも、身近な人間が急激に変われば、その変化が自分にとって好ましいものであるにせよないにせよ戸惑いを覚えるものである。私も、この種の困惑を経験したことがある。高校時代の友人が、大学入学を機に、体型も服装もすっかり一新した時のことである。そのイメージ・チェンジぶりたるや、高校時代とはまるで別人のようであった。これだけでも十分面喰らうのに、外見と共に性格も著しく変化したのには驚いた。別に彼女の変化を否定的にとらえているわけではない。むしろ彼女の場合、自己否定的な面が消えて積極性が増したのだから、本人のためを思えば歓迎すべき変化である。そう思いつつも、いつの間にか彼女が遠くへ行ってしまい、自分がとり残されてしまったという感が否めなかったのも事実である。彼女がどう思っていたのかはわからないが、少なくとも私にとっては、両者の間に突然距離感が生じたのだ。私達が疎遠になるのも時間の問題であった。ハンスと私とでは立場が違う。だが、「〜、ぼくにとって、知らない女の愛情なんかかかわりがあるだろうか、サビーヌ? ぼくを愛してくれる今のきみはもうぼくの愛した女じゃないんだ」というハンスの科白の中には、この忽然と現われた距離感への怒りと戸惑いが感じられる。
女性雑誌には、美容整形外科やエステティック・サロンの広告が氾濫している。こういった現象は、人の劣等感をあおり立てて儲けようという広告主の商魂たくましさの表れであるが、それだけ読者側のニーズがあることも物語っている。女性ばかりではない。朝日新聞の某コラムによると、「醜形恐怖症」の患者には、女性よりも若い男性が多いという。さらに、彼らの中には整形志願者が少なくないそうだ。こういった変身願望を持っている人々は、そのプラス面にのみ注意を奪われていて、人間の変貌が精神だけではなく人間関係をも左右する可能性を秘めていることに気付いていない。確かに、第一印象というものは馬鹿にできないから、美しくあるいはハンサムに変身すれば、新たな人間関係を築くチャンスは増えるだろう。一方で、変身願望は人間関係にひずみを生み、最悪の場合崩壊させる危険性を伴っているのだ。とりわけ美容整形のように後戻りのできない改造を肉体に加えるには、本来それ位の覚悟が要るのではないか。私とて整形したいなど一度も思ったことがないと言えば嘘になる。それどころか正直に言えば、『手術でなんとかなるものならやってしまいたい』という思いにかられることもしばしばである。しかし、私が今述べたような危険性を認識している以上、誘惑に屈することはないだろう。