2001年度 佐藤 建
■現実の社会で
現在私たちが生きている社会は、ネット(インターネット)に接続していることが前提のようである。仕事の依頼にしろ、私用にしろ、ネットを介さないではありえない状況になりつつある。ネットの中で中心として動いている情報はまだ文字情報が中心で、写真や映像などはまだまだの状況である。この文字中心のネット環境の中で、私たちは一体相手に何を伝えようとしているのだろうか。
私はi-modeの携帯電話を持っているが、この携帯電話宛のメールには「出会い系サイト」からのスパムメールが毎日何通も送られてくる。私が必要としているメールより、このようなスパムメールの数の方が多いのである。
■会話が1対1かつ並列に
ネット上でより便利になったと感じることは、ネット上の相手の人と簡単に(文字)メッセージの交換ができるということである。現在私はMSN
Messengerを使い、学内、学外問わずネットにつながっているときにメッセージの交換を行っている。このことにより、自分の所在している場所が固定されず、ネットに繋がっていれさえすれば、その時接続中の相手とはメッセージの交換が可能なのである。また、このソフトは複数の人ともメッセージの交換が可能なので、小さな会議のようなものも(文字上ではあるが)可能なのである。
このような、メッセージの交換は言葉を発することなく情報の交換が可能になり、他の人に聞かれることなく、すぐに秘密の会話ができてしまうのである。
また、このような1対1のメッセージ交換を、マシンの画面に複数ウィンドウを開き、複数の相手と同時に行うことが可能なのである。普通の会話であるなら、1人と人と会話しているときは、他の人と会話することは難しいが、ネット上のメッセージ交換であれば、複数の人と同時に、またメッセージ交換している相手に、自分が他の誰とメッセージ交換しているのかを知られずに行うことができてしまうのである。
■ノイズの入らない危険性
1対1のメッセージ交換は、より合理的に見えるかもしれないが、1対1が保証されている限り他の人からの口出し(ノイズ)が入ることはない。しかし、このような状況はお互いが、ある程度の関係性を築いていてからなら問題はないが、相手のことをよく知らない状況では、文字の情報のみしか得られないので危険な事に遭遇する可能性は出てくる。
メルトモが実際の性別と年齢を偽っていて、詐欺にあったというようなことが平気で起こってしまうのである。自分と相手の距離が一気に近づくネット上のメッセージ交換は、相手に対してと、自分に対しての保証が何もないことを気をつけないと犯罪にまきこまれ、また誤解によりお互いを傷つけ合う結果になってしまう可能性がある。
普通に人と人が出会うときは、何かしらの関係性の中で繋がりあっているのであり、それは時にはノイズとして映ることがあるかもしれないが、そのノイズが自分の立場や相手の素性を明らかにしれくれることもあるのを知っておくべきだと思う。
■自己修復が可能か?
人と人との関わりの中で、自分の発したメッセージが自分の意図しないこととして相手が受け取ってしまったとき、どうするかということである。何か誤解が生まれれば、誤解を解く努力をするだろうが、ネット上のノイズの入らない関係性の中で、関係は修復できるのかということなのである。この関係性の修復ができないということは、最終的にお互い誹謗中傷しあう結果になってしまう可能性がある。
私も、個人的にネット上でケンカをしたことがあるが、自分でも泥仕合をしていたと感じている。重箱の隅をつつきあって、誹謗中傷をしあったのである。結局ネット上で関係性が壊れてしまいそうな時は、直接会うことや、電話で話をすることなどしないと修復するのは難しいのではないかと感じた。
ネット上の自分の書いた文字は自分から離れて、自分の意図しない方向へと突き進んでしまう可能性があるのである。
■ネットが存在しなくなったら
もし今、いきなりネットの存在しない状況に世の中が変わってしまったら、一体どうなるのであろうか。ネットが発達する以前から生活してきた人にとっては、過去の状況に戻るだけなので、それほど違和感を感じないかもしれないが、ネットが発達してから中心に生きてきた人にとっては、人との関係性を築くのが少し大変になるかもしれないと感じる。自分と相手の距離を縮める手段としてのメールであったり、メッセージであるからだ。言葉によるコミュニケーションより、文字によるコミュニケーションに頼り切ってしまっているように感じるので、言葉中心に戻るのは少し大変になるかもしれない。ただ、人間は順応して生きている生き物であるので、たとえネットがなくなったところでも、少々の混乱はあり、不便を感じるかもしれないが、以前と同じようにコミュニケーションしていくと思う。
■この先のコミュニケーションの形
この先、人と人はどのように関係性を作っていくのであろうか。ネットワークを介して文字によるコミュニケーションが中心である現在の次にやってくるのは、映像によるものになるであろうと思われる。離れた場所でテレビ電話のような形で映像をみながら会話をするのである。文字によるコミュニケーションよりは、より多くの情報を提供してくれるかもしれないが、文字が映像に取って代わるだけで、全てを伝えることにはならないと思う。
■ネット上の繋がりとは
これから先は、今以上にネットに依存した生活になると思われる。より便利にはなるかもしれないし、同時平行で多くの事柄をいっぺんにおこなれるようになるかもしれない。しかし、ネットは媒体にすぎないということを忘れてはいけないと思う。過去にはできなかった事柄ができるようになったといっても、基本的に人と人とが関わることは変わりがないように思う。過去のように時間や空間を意識しなくてよくなった分、即時性を重要視しすぎてしまうこともある。「時間が物事を解決する」というような事を学ぶチャンスも失ってしまうかもしれない。
■人と人との関係
人と人との関係が過去も現在も未来もそれほど変化のないことではないかと考える。人は独りでは生きていくことができず、誰かと関わりを持ちつつ生きていくということ。そして、その関係性の中から新しいことを学び、何かを創り上げていくのではないかと思う。
いくら人と人とを媒介するものが発達したとしても、基本的に伝えたい事柄は変わらない気がする。ネットが発達すれば人間の関係性の幅は広がるかもしれないが、関係性そのものが変わることはないと考える。逆に危険に感じるのは、ネット上の約束事が全ての関係性に対して適用しようとする事かもしれない。本当に人とふれあう事とは、会うことであるということは変わりがないと思うし、未来もこの事は変わらないと思う。ネットが発達することにより、過去のような関係性を持たなくても生きて行けてしまうかもしれないが、その事柄はある面、人間を退化させてしまうことなのかもしれないと感じることがある。